悩み相談

悪い評価を受けてしまったため全否定されたように感じる【悩み相談】

こんにちは、ゆーこーです。

今回は10代女性のお悩みです。

悪い評価をとったため不安に

大学のある授業の提出物で、最低評価をもらってしまいました。

その提出物の評価を知った関係で、いろんな授業でそのような評価を付けられているのではないかと疑心暗鬼になっています。

例えば、他の授業では講評として『一部手抜きの答案がありましたが、、、」という風に書かれていました。全体の講評なのでそれが自分とは断定されてないものの、違う授業で最低評価をもらってしまったことから私の本気が教授からすれば手抜きに感じられているのかもしれないと危機感を覚えています。

高校ではそのようなことはなかったのでとてもショックで、このままでは単位をいくつも落としてしまうのではないかと考えると辛くて毎日の授業が苦痛です。

また、ほとんどの授業は提出物の採点結果を今の段階では知ることができず、単位がもらえたかどうかは8月に分かります。この疑心暗鬼が8月まで続くと考えるととてもではないですがそのストレスを背負いながら生活していける自信がありません。

どうしたら心も健康でありながら大学の授業をストレスなく受けられるようになるでしょうか。

よろしくお願いします。

僕自身、進学校出身ですし旧帝大に進んだのですが、まさに同じようなことはありました。

高校ではトップ1割に入る成績だったのに大学では中の下。天狗になっていた自分の鼻はたやすくへし折られ、世の中にはすごい人がたくさんいるんだなぁと痛感したことをよく覚えています。

さて、この方は「一つの授業で評価が悪いため、他の教科も同じく悪い結果なのでは」というお悩みだと言えそうです。そこで僕がお答えした回答はこちらです。

拝見いたしました。
大学は容赦無く現実突きつけますよね、その痛みよくわかります。

対策には原因を知ることが一番です。
そこで心理学的に早速結論をいうと、それは認知の歪みです。
さらに言えば「一般化してしまう」歪みです。
本来つながりのないもの同士をつなげてしまい、AがダメならBもダメだ、と考えてしまうことです。
今回の質問はまさにそうですね。

また人間は自分に嘘をついてまで納得する因果関係をつけようとします。
なので一度疑うと、その予想を証明する理由を探します。
「全力が手抜きに見えているのでは」というのはまさにそれです。
「最低評価がされる」という予想の因果関係を証明するため「手抜き答案がありました」という事実に、納得のいくよう無意識に「全力でも手抜きに見えてるんだ」という解釈を加えた、ということです。

これはあなたが意識的にやっていることではなく、無意識的な部分です。
無意識による思考の癖なので、一瞬では変わりません。
ですがコツコツやれば変えることはできます。

あなたは「全てそうなのでは?」と解釈に疑いを持った。
ここに希望があります。
自分の解釈を、決められた事実ではなく1つの意見として認識できる時点で見込みがあります。

まず一般化を避けるために「共通点ではなく相違点を探す」ことを考えてみましょう。
「同じ大学で評価」という共通点を見ていると、一般化してしまいます。
ですが相違点もたくさんあるはずです。
課題内容、評価方法、評価基準、評価する先生、その先生の感性や気分などなど。
こう認識すると「一つ一つの提出物は個別の評価だ」と割り切りやすいですよね。

無意識の因果関係を避けるには、悪い予想なら否定する方向で疑うことが最適です。
「評価が悪くなるのでは?」と考えたら肯定する解釈が湧きます。
そこで「それってあり得なくない?」と否定的に疑うんです。
すると無意識的に浮かぶ解釈も否定する内容になってきます。
無意識のうちにまた肯定し始めますが、その時はまた修正です。
コツコツと直していきましょう。

全員が平均的にできるとは、先生方も思っていません。
研究者だって一つの分野に特化した人なんですから。
これがだめだからあれもだめ、という考えの先生は少ないと思いますよ。

少し理論的で説教くさかったですね、すみません。
解決することを祈っております。

悩み相談のサイトの仕様により1000文字以内での回答を余儀なくされているため、その限られた範囲で書いたらこんな説教のようになってしまいました、反省…

今回のポイントは「一般化する認知の歪み」と「無意識による因果関係の創作」です。

その中でも「一般化する認知の歪み」について説明します。

一般化してしまう認知の歪み

育ってきた環境、もしくはトラウマ的出来事によって、認識の仕方が歪んでしまうことがあります。

例えば「ある人からキモいって言われた翌日から、いろんな人にキモい呼ばわりされた。みんな僕のことをキモいって思ってるんだ。」という出来事を考えてみましょう。

こんなことが起きてしまうと、次に誰かから嫌われた時に「みんなが嫌っているんだ」と一般化してしまいますよね。本来は個人の意見にすぎないのに、それを総意見だと捉えてしまう。

これが一般化してしまうという認知の歪みです。周りを見渡すと一般化してしまう方は結構多いのではないでしょうか。和をもって尊しとなす日本人は、なおさら一般化してしまう民族なのかもしれません。

この認知の歪みは様々な影響を及ぼします。たった一つの意見を全体意見だと捉えてしまうと、まず仕事における人間関係が大変になります。

例えば、認知の歪みがあると「あの人からミスを指摘された、みんな私のことが嫌いなんだ」という思考回路になります。ですがそれは一般化しすぎですよね。指摘したのはミスをした出来事であって、人格ではありません。ですが人格を否定された気になってしまう上に、それを一般化してしまうので全否定されたと本気で思い込んでしまうんです。(実際、人格否定をする人もいるので一概には言えませんが…)

他にもいろいろありますが、これだけでも大変なことはよくわかると思います。

ではどうすればいいのでしょう。

それは、認知の歪みを引き起こす原因となる出来事と結果の関係を認識することです。

原因と結果を捉えて間にある通路を見極める

先ほどの仕事の人間関係で捉えると、

「ミスを指摘された」というのが原因となる出来事

「私を嫌っているんだ」というのが結果です。

この二つの間には「みんな私を嫌っている」などの一般化する無意識の思考回路があります。この思考回路を変えないといけないのですが、無意識をすぐ認識することはできません。

だからこそ、原因と結果を見つめてその間にある無意識の思考回路を炙り出すんです。

すると自分が認知のゆがみを生み出す価値観を持っていることに気づくことができます。

気づくことができたら、一般化しない価値観に置き換えていきましょう。「十人十色、同じ考えの人はいない」そんな価値観にするんです。

そうするとどうでしょう。

「ミスを指摘された」ということは「ミスを治してほしい」ただそれだけに過ぎないことがわかります。たとえその人から嫌われているんだと思ってしまったとしても、みんなから嫌われているんだとおもうことはなくなります。

橋渡しとなっている無意識の思考回路を変えること、それが大切なんです。

認知の歪みはマインドフルネスで治せる

これ、まさに言うは易く行うは難し、です。

マインドフルネスでは無意識の思考を認識することを繰り返しを行います。

これによりマインドフルネスで橋渡しとなる思考回路の認知能力あげることができるので、精神的にもストレス軽減が見込めます。研究結果でも証明されています。

もし自分が嫌な推測をしてしまった時、少し距離をとって考える癖をつけてください。

誰にでも無意識の価値観が眠っています。

それを認識した上で思考するのか、認識しないで過去の価値観に囚われてしまうのかは大違いです。

ぜひ自分が心地よい思考回路の中で生きてみてほしいところです。